ラプソディーインブルーについてちょっと調べてみた
みなさん、お元気ですか?
今はなんとなーく家事をして、毎日やればいいんだよなーと思っている奥田です🌛
今日はラプソディーインブルーを勝手に特集しようと思います✨笑
私のこの曲との出会いは、小学校の音楽の時間!ぼけーっとしていたとき、急にスクリーンが出てきたときです😲
小学校の授業とかで、ちょっといつもと違うことがあると、ドキドキしませんか??
あ、先生が話す以外のことがなにか起きそう…にやにや😋的な
そんなことが起こった矢先、この映像がどーん😲!!
何か映像をみれるだけで、ワクワクしていた私に、さらに衝撃を走らせました🙌🙌🙌
なんだこれ!おもしろいし、何、ピアノも入ってるの?コンチェルトなの?うわーーーなんだこれ!!!🏃🏃🏃
ということで、私はすっかりこの曲が大好きになったわけです✨✨✨
今日はそんな思い出の曲についてちょこっと調べたことをまとめてみます
ラプソディーインブルーは、1924年、第一回冬季オリンピックが開催され、後の昭和天皇の御結婚を記念に、上野動物園に恩賜の文字がついた年に、ジョージ・ガーシュイン(George Gershwin)によって作曲されました
ちなみに本名は、ジェイコブ・ガーショヴィッツ(Jacob Gershowitz)というそうです!本名もイケてますね!笑
当時、ガーシュインは26歳!わーすごい!!
彼や、アメリカ文化について書くと、本が書けそうなので、それはまた今度にして(笑)この曲の背景について…
この曲を作曲したのは彼ですが、他にもピアノと管弦楽版に編曲をファーディー・グローフェ(Ferde Grofé)という人がやっています
彼は1920年から1933年までポール・ホワイトマンのオーケストラで、アレンジャーとして働いていた方であります
ここにもアメリカの文化がチラ見できるようなできないような…😶🌱
そしてこの楽団のボス、ポール・ホワイトマン(Paul Whiteman)という人が、またなんともやり手な方でして、(アメリカ版ディアギレフ的な…?)
そんなこんなでこの曲はそんな彼のむちゃくちゃなオファー(1ヶ月後のコンサートで、ガーシュインの新作のジャズ・コンチェルトが発表されるという記事を新聞にだしちゃうという驚異的むちゃぶり)によって誕生したそうです
そして、あのクラリネットの特徴的なグリッサンドも、ホワイトマンの楽団のクラリネティスト、ロス・ゴーマン(Ross Gorman)の暇つぶしからのアイデアだったり
ラプソディーインブルーという名前なのも、文学、主に作詞で活躍したジョージのお兄さんであったアイラ・ガーシュイン(Ira Gershwin)の提案によるものだそうで
まさにいろんな偶然、そしてガーシュインの才能がなければ誕生しなかったであろう、まさに奇跡の作品です😲✨✨
いろいろな人が弾いていますが、特によく聴くのは
やっぱりバーンスタイン!とか
ピアノのバージョンですが、オーケストラ以上にオーケストラなフランク・ブラレイ大先生とか
(これをみて、この人に習いたいと思いました)
世界の小澤征爾×マーカス・ロバーツの自由な演奏とか
たくさんたくさんあるので、もしよかったら、ぜひ飛んでみてください!
ということで、アメリカ音楽史にちょこっと触れてみたでした📖!
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