ドビュッシーとそのクラリネットのための第1狂詩曲
今日、ドビュッシーのクラリネットのための第1狂詩曲を弾いていて…ふと…
先生たちから言われたことが、おお、いろいろつながった現象に陥りました
苦手というか、触れたことないものに触れたあと、みえることってたくさんあるんですよね…未熟者、奥田です✨
ということで、今日は私の大好きな、パリ国立高等音楽院入試課題委託作品の1つ、クラリネットのための第1狂詩曲に触れたいと思います🙈💕
ドビュッシーについて
クロード・ドビュッシー (Claude Achille Debussy )
1862生1918没、ルーセルや、魔法使いの弟子で有名人なP.デュカスと同じくらいの世代のフランスの作曲家です
普仏戦争(1870-1871)、ナポレオン3世の失脚、1889年のエッフェル塔完成、1914年の第一次世界大戦など、いろいろ目まぐるしい中を生きていたのでしょう
彼はもともとピアニストになりたかったのですが、学校の試験で思うような成績が残せず、作曲の道を志した人物です
ローマ賞には3回目、カンタータ「放浪息子」で、大賞をとっています
(もうこの頃から、ピアニストと作曲家は別物だったのですね…)
5人兄弟の1番上、結婚は2度していますが、
非社会的で、学生時代から自分の言いたいことはなんでも言ってしまい、女性問題のスキャンダルもたくさんあった…かなり気難しい性格だったようです
(プライド高かったの?)
クラリネットのための第1狂詩曲は、そんな彼が、1910年(48歳)で作曲しました
プルミエ・ラプソディ(第1狂詩曲)
この作品は、1910年7月に行われたパリ国立高等音楽院の入試のために、3ヶ月程度で書いた曲で、同時期に初見課題として、小品も作曲されています
翌年の夏にこれが管弦楽化されていますが、初演はドビュッシーの死後、1919年だったようです
なのでこれは、ピアノとクラリネットが原曲、もしかしたら、ドビュッシーが意外とうまくかけたからオーケストレーションまでした(と思われる笑)、美しい曲なのです🙈💕💕
ドビュッシーは、ピアノ出身だったからか、ピアノの表現技法をよく知っているというか、よくピアノを弾ける人だったんだなあと思わせるようなパッセージや、音の並べ方、デュオでも音楽的にはもちろん、感覚的にもしっくりくるので、すごいなあと思います🌷
なんだか語っていたらすごく弾きたくなったので、もう一回弾いてこようかしら…
それではまた次回✨
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